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篇名: 2012年 謝謝!台灣!
作者: yuichi 日期: 2012.03.10  天氣:  心情:


2011年3月11日から1年が経ちました。
多くの人命を奪う、未曾有の地震から1年・・・。


1995年に起きた阪神淡路大震災のことを思い出します。


私は阪神淡路大震災の時は朝早く起きており、揺れの始まりから終わりまで
しっかりと憶えております。窓の外にあるビルが、まるで棒きれのように
左右に動いておりました。


関西一円の電車はストップとなり、動かない車の交通渋滞、町の全ての
ビルのガラスは割れて、私が住んでいた町は本当に日本なのか?と思う
ほどの変わり様でした。


震災当日、伊丹空港から飛行機で九州へ向かう時に、神戸の真上を飛んだ
時の光景を忘れません。神戸の町が、何十カ所と燃えている景色を・・・。


数日後、神戸に行くとその町は黒かったのです。目で見ているのですが
頭の中で理解が出来ていないのです。町が全部燃えてしまい、話に聞いていた
”焼け野原”の光景が目の前にあったのです。


倒れた高速道路に、リュックを背負って、黙々と焼け野原を歩く人々・・・。
そこで思ったことは、人の想像を超える状況にあうと、悲しいとか辛いとかの
感情を通りこし、ただ殺伐とした心になることを知りました。


その時に思ったことは”もう二度とこのような景色は見たくない・・・”と
だけ感じたことを、今でも憶えております。


そして、十数年後に起こった東北大震災・・・。


私は東京にいましたので、自宅はこれと言った被害は無かったのですが
東京の交通機関は、ほとんど使えず、多くの人々が黙々と歩いて自宅に
戻る姿を見た時には”人生で二度、このような光景を見ることになとは・・・
それも東京で見るとは思わなかった・・・”


阪神淡路では火災で多くの人が亡くなりましたが、まさか今回は津波が甚大な
被害を及ぼすとは想像出来なかったです。誰が10数メートルの波が襲って
くると想像出来たでしょうか・・・。


十数年に起こった阪神淡路大震災のことは、今でも忘れることは出来ません。
それが1年経ったからと言って、東北大震災を忘れることは絶対にないのです。


町は少しずつ元に戻るかもしれませんが、人の心の傷跡はそう簡単に治る
わけではないのです。しかしながら、各国の救助隊や義援金など、日本人の
想像を超える規模で、各国の人々から支援を受けたました。そして台湾は
世界で一番多くの義援金を送って頂きました。


日本人は驚きました。台湾が世界で一番多くの義援金を送ってくれたこと
よりも、日本と正式な国交がない国が、世界で一番多くの義援金を送って
頂いたことにです。台湾の多くの人々の思いが、被災した多くの日本人の
傷を癒してくれたのです。


私はこのような話を思い出します・・・。


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小さな町のお話です。その町に1人で住んでいるお婆さんがいました。
そのお婆さんの孫が病気で亡くなった知らせが届きました。
孫は遠い場所に住んでおり、お婆さん1人ではお葬式にも行けず
ただ1人で家にいるしかなかったのです。


そのことを知っている、近所に住んでいる母親は娘に言いました。
「あそこに住んでいるお婆さんのお孫さんが亡くなったから、気を使って
 あげなさいね」
しかし、娘は小さくあまり理解していないので、母親は娘に解るように
「お婆さんは心に傷があるの・・・」
と、娘に解るように説明したのです。


そのことを聞いて、小さな娘は1人でお婆さんの家に行き、ドアをノックして
出てきたお婆さんに、1枚のバンドエイドを差し出したのです。


「お婆さんの心が傷ついたことを、ママから聞いたの。だから、お婆さんの
 傷が早く治ってほしかったら、バンドエイドを持って来たの・・・」


そのことを聞いたお婆さんは、そっと、小さな娘を抱きしめました。
---------------------------------------------------------------------


この話のように、傷ついた者が本当に必要なものは”心のバンドエイド”なの
です。その”心のバンドエイド”を送って頂いたことに対して、台湾の皆様には
心から御礼をお申し上げます。ありがとうございます。



東北大震災から、まだ1年しか経っておりませんし、まだまだ復興と言う言葉は
遠い未来かもしれません。しかし、多くの台湾の人々から受けた恩に報いる為
にも、日本は復興に向けて歩み続けます。


辛い道のりかもしれません。苦しい道のりかもしれません。歯を食いしばる
ような道のりかもしれませんが、明日を生きたいと願って、その明日を生きる
ことが出来なかった人々の為にも、私たち日本人は、前へと歩まなければ
いけないのです。


そして、いつの日か美しい日本に戻った時には、ぜひ日本に来て、見て下さい。
美しい日本に戻ることが、恩に報いることだと思います。


幾年も、台湾と日本が良き隣人とあらんことを願っております。


2012年 謝謝!台灣!


                                 Yuichi


(*翻訳が可能な方は、翻訳をお願いします。また、1人でも多く台灣の
  皆様へ御礼を読んで欲しいですので、よろしければ、知り合いの人
  友人などに送って頂けると嬉しいです)

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